Takashi Yamaguchi, English Speaking Japanese Tax Accountant
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賦課課税方式と申告納税方式

「賦課」という言葉を聞いたことありますか?
「申告」に比べると認知度は低いと思いますが、終戦前の日本では税金といえば「賦課」が普通だったようです。
「賦課課税方式」とは簡単にいうと「お上」が税額を決めて課税する方法です。
一方、「申告納税方式」は、納税者に自分の税額を自分で計算させる制度です。
今回は日本の税金の歴史を交えながら「賦課課税方式」と「申告納税方式」についてご紹介します。
参考文献は租税法学会の巨匠・金子宏先生の「租税法」(第22版・弘文堂)です。

賦課課税方式

納付すべき税額がもっぱら租税行政庁の処分によって確定する方式です。
伝統的にヨーロッパ諸国で用いられてきた方式であり、日本でも第二次世界大戦以前は賦課課税方式が一般的に用いられていました。
現在でも、地方税については賦課課税方式が原則的に用いられています。
典型例は固定資産税や都市計画税です。

賦課課税方式による税金については「納税通知書」が納税義務者に送付されます。
いちおう納税義務者に賦課課税の内容をチェックさせる機会は与えていますが、税額算定に誤りがあれば責任を負うのは一義的に行政庁です。
最近、固定資産税を過大に賦課していた市町村のことがニュースになることが多くなったように感じます。
あれは納税意識の高まりによるところもありますが、制度的なものよって比較的ミスを発見しやすいからかもしれません。
市町村長は、固定資産税の納税者が、自己の固定資産と他の固定資産の評価額等とを比較することができるよう一定期間、土地価格等縦覧帳簿および家屋価格等縦覧帳簿を、固定資産税の納税者の縦覧に供しなければなりません(地方税法416条)。
この縦覧制度があることによって、市町村も間違えを納税者から指摘されるかもしれないという緊張感をもつことになるので、自分で算定結果を精査するなど良い牽制につながっていると思います。
しかし、税額算定過程が複雑だったり専門知識がないとわからない場合は、なかなか素人にはミスを発見できないので、行政庁側が気を付けないとだれも間違いに気付かないまま不服申立の期限(通常は通知を受け取ってから3月以内)を迎えることになります。

申告納税方式

伝統的にアメリカで用いられてきた方式です。
納税義務者が自分で課税標準と税額を確定する方式であるため「自己賦課」とも呼ばれます。
日本では第二次世界大戦後、従来の賦課課税方式に代わって広く採用されるようになりました。
所得税・法人税・相続税などの直接国税について全面的に採用されており、間接国税(関税、酒税、消費税など)についても原則的に採用されています。
地方税については、法人住民税・法人事業税・地方消費税・たばこ税等に限定的に採用されており、依然として例外的な課税方式です。
ちなみに、地方税法では申告納税のことを「申告納付」といいます。
自分で申告した内容に誤りがある場合は申告した納税者が責任を負います。
具体的には、自分で間違えに気が付けば「修正申告」か「更正の請求」をすることになります。

「修正申告」は計算や税法の適用の誤りによって申告した納税額等が過小だったときに、その誤りを是正するため自分から正しい税額等を事後的に申告することです。
「更正の請求」は申告した納税額が過大だったときに、それを是正することを行政庁に請求することです。
更正の請求は「修正申告」とは異なり、行政庁に是正処分の発動を「請求」するだけで納税額を修正し確定させる効力はありません。
行政庁が請求の内容を審査し、請求のとおり税額が過大だと判断したときに限って減額更正の処分がされ、正しい納税額が確定します。
請求すれば必ず認められるというものではありません。
また、過大税額が多額なときは更正処分の判断に先立って税務調査が入ることもあります。
これは、一定額以上の税金の還付については後に税務署が会計監査院からチェックを受けることになるので、多額の還付につながる更正の請求については慎重に慎重を期すためです。
また、多額な過大申告をするような納税者は、多額の過小申告をしている可能性もあるという疑いの目でみている場合もあります。
調査の結果によっては、過小申告が見つかって、請求どおりに減額更正を受けられなかったり、逆に追加納税の更正処分をされたりすることもあります。
いずれにしても、申告納税制度のもとでは自己責任の原則が貫徹され、正しい申告をできなかったツケは自分で払うことになります。

歴史的背景

ここからは余談です。トリビアとおもって気楽に読んでください。

(1)絶対的賦課課税ー封建時代

江戸時代の各藩の主な財源は「地租」と呼ばれる税金でした。
現代風にいうと外形標準課税の一種といったところでしょうか。
納税義務者はお百姓さん、課税標準はその土地からの農産物の収穫量です。
お役人が収穫量を調べて、お百姓さんから直接農産物を税金として徴収する仕組みでしたので、完全な賦課徴収です。
法律なんてあってないような時代ですから、課税標準の決め方も不明瞭で、役人による不正も多かったようです。
しかし「士農工商」の身分制度の下で農民は役人(士)には逆らえませんから、言われた通りに収穫物を差し出すしかありません。
特にコメに対する課税は厳しく、お百姓さんたちは自分で収穫したコメをほとんど食べられなかったようです。
あまりにも取り立てが厳しく農民が困窮するさまは、時代劇でおなじみですが、あれは最初から貧乏だったのではなく、担税力(納税者が税金を支払う能力)を無視した税制の結果と思われます。
江戸時代中期に、豊作・不作にかかわらず一定の年貢を徴収する定免法(じょうめんほう)が導入されてから、農民の生活は一層不安定なものになったそうです。
賦課課税フルパワーの暗黒時代といってよいでしょう。

(2)近代税制の黎明期ー明治初期

明治維新(1868年)とともに近代国家への転換を急ぐ明治政府は、行政組織の整備、富国強兵のために多額の財源を安定的に確保する必要がありました。
しばらくは各藩の「地租」が残りましたが、明治4年(1871年)の廃藩置県を機に「地租」が「国税」に組み込まれ、課税標準も全国一様に農作物の収穫量から農地の地価となり、物納から金納に改められました。また、納税義務者もお百姓さんから地主さんに変りました。
いわゆる「地租改正」です。
これにより「地租」の性質は現在の「固定資産税」に近いものになりました。
その後明治11年(1878年)には「地方税規則」によって、地租(国税)の附加税として「府県税」が新設されました。
国税に対して一定割合で地方にも課税権を認めているところは、現在の所得税(国税)と住民税(地方税)の関係に似ていますね。
当時の日本は農業以外にめぼしい産業がなかったため、安定的な税収確保のためには中央も地方も農地に課税するしかなかったのでしょう。
その点は江戸時代と変わりませんが、国も地方もそれぞれ議会の承認なしには課税できないという「租税法律主義」が導入されたという点で近代税制への大転換期にあったといえます。
印紙税(1873年)、たばこ税(1875年)、酒税(1877年)など現在にも通じる税金が創設されたのもこのころです。
申告納税制度の微塵も感じられないまだまだ夜明け前といったところです。

(3)近代税制の確立期ー明治後期

明治20年(1887年)に所得税が創設されました。
すべての階級と職業を通じて公平に所得に課税する当時としては画期的な税金です。
財源確保というよりは、農業者中心課税の不公平を是正することが目的だったようです。
しかし、累進税率、源泉分離課税など現在にも通じる制度が当初から導入されており、資本主義の発展による所得拡大を見越した税制だったといえます。
このころはまだ「法人税法」はなく、法人の所得にも低率の「所得税」が課税されていました。
課税手続の面でも近代化が始まりました。
明治22年(1889年)に制定された大日本帝国憲法に「租税法律主義」が明記されました(62条、63条)。
これに続いて租税法が次第に整備され、同年に国税徴収法と国税滞納処分法が制定されました。
これらは国の課税権を担保するための法整備です。
翌年(1890年)には「訴願法」と「行政庁ノ違法処分ニ関スル行政裁判の件」(現在の行政事件訴訟法に相当)が制定されました。
これらは納税者の財産権を保障するための法整備です。
もっとも、課税方法はいまだに賦課課税です。
所得税も各税務署管轄内に設置された「所得税調査委員会」が個人・法人の所得を調査して課税額を決めてました。
明治38年(1905年)には相続税が導入されました。

(4)発展期ー大正時代から昭和初期

農業以外の産業の発展と法人組織による事業の台頭にあわせて所得税の改正がすすめられました。
大正2年(1913年)には法人の所得に対しても累進税率が採用されました。
これは実質的に個人事業と大差ない法人の所得に個人と同様の課税をするためだったようです。
大正9年(1920年)にはそれまで非課税だった法人からの賞与が個人所得税の課税対象になりました。
また、税率や課税所得の範囲もたびたび改正されています。

地租は昭和6年(1931年)の地租法制定を機に課税標準が地価から「賃貸価格」に変更されました。
これにより、地租の性質は「収益税」に変ったといわれます。
まだまだ賦課課税方式の世が続きます。

(5)戦時期ー昭和15年から20年

戦費調達のため増税が繰り返されました。
政府は昭和15年(1940年)に所得税を全面的に改組して国税体系の中心におきました。
法人税は所得税から分離され独立した税目となりました。
法人は各事業年度の所得に加えて資本に対しても法人税を課税されるようになりました。
個人のみを対象とすることになった所得税については、勤労所得の課税範囲の拡大と所得控除の引き下げが行われました。
この結果、昭和15年の租税収入における所得税・法人税の占める割合は一挙に高まり、44%に達したそうです。
昭和19年(1944年)に一部の大法人について法人税の「申告納税制度」が採用されました。
戦時下で物資が足りないどころか命も危ない時代、課税方式なんかどうでもいいって感じだったのではないでしょうか。

(6)転換期ー昭和21年から24年

昭和22年(1947年)に直接国税分野の全面的制度改革が行われ、所得税・法人税・相続税等については全面的に申告納税制度が採用されました。
これは、納税者の激増に対処するためのやむを得ない措置だったようです。
しかし、ようやく課税方法の主流が賦課課税から申告納税方式に変る転換期が訪れました。
政治の封建主義からの脱却は明治維新によって短期間に成し遂げられましたが、税制が封建主義から解放されるには79年もかかりました。
しかし敗戦直後の混乱期、ほとんどの国民はそんなこと気にしてなかったと思います。

(7)現代ー昭和25年から現在

昭和25年(1950年)にシャウプ勧告に基づく税制の全面的改革が断行されました。
シャウプ勧告とは、GHQの要請によって昭和24年(1949年)に結成された、カール・シャウプ(当時コロンビア大学教授)を団長とする日本税制使節団(シャウプ使節団)による日本の租税に関する報告書のことです。
シャウプ勧告では、国と地方を通じる税制全体の長期的なあり方として直接税中心の税制を勧告していました。
直接税の方が、納税者が意識しつつ租税を納付するという点、担税力に即した課税ができるという点で間接税よりすぐれているというのがその理由でした。
やがて高度経済成長期に入り、景気がよくなり税収も右肩上がりの時代を迎えます。
経済の民主化と申告納税制度が蜜月関係にあった良き時代といえます。
その後バブル期には景気が良すぎて税金で泣き笑いする人が大勢いました。
バブルがはじけて日本中が泣きました。
そして「失われた20年」などいう言葉を聞かなくなった最近、日本はどこへ向かっていくのでしょう?
ヤマグチにはさっぱりわかりません。

***
長いこと封建時代にあった日本では賦課課税方式の時代が長く続きました。
しかし、現代のサラリーマンのほとんどは源泉徴収と年末調整で所得税の納税が済んでおり、所得税が申告納税方式を採っていることを実感している人はわずかです。
つまり、現代人の大半は封建時代のお百姓さんと似た立場にあるように思えるのです。
税金は「お上」に納めるもの、あるいは「お上」から取り立てられるものといった感覚をもつ日本人が今でも多いのは、こうした歴史を経験したお百姓さんのDNAを受け継いだサラリーマンが多いからではないかと推測しています。

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