Takashi Yamaguchi, English Speaking Japanese Tax Accountant
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ある税務調査官の「うそ」

「うそ」も方便?

最近、税理士会の研修で興味深い事例に出会いました。
いろいろ事情があって関係者を特定できるレベルの詳細はお話しはできません。
聞いた話をデフォルメして概説すると次のような事案です。

女性Aさんは、占い師Bにマインドコントロールされていました。
Bのいうとおりに風俗店で数年にわってほとんど無休で働き、その稼ぎのほぼ全額をBに差し出していました。
その額なんと1億円。
Aさんは個人事業主として所得税の確定申告をすべきところ一切していませんでした。
ある日税務署から税務調査官C(女性)がAさんのもとを訪れます。
税務調査です。
事前情報として把握している収入金額に照らしてあまりにも質素な暮らしぶり(布団すらもっていなかった)にCは疑問を抱きます。
いろいろ尋ねると、身を粉にして働きながらも、風俗店の同僚やお客さんからの差し入れでなんとか生きながらえているというAさんの困窮ぶりとその原因が明らかになりました。
そんな状況を知ったCは、Aさんにいたく同情し、助けようと決意します。
しかし、AさんはBのマインドコントロールによって、税務署はAさんがせっかくBにあげたお金をだまし取ろうとする悪い奴と思い込んでいます。
そこでCはAさんのマインドコントロールを解くために、言ってはならない「うそ」をいいます。
C:「あなたがBに貢いだお金が返ってくるまで、あなたには所得税の課税処分はしません。」
A:「えっ?でも、お金が返ってこなくても私は処分されるってB先生はいってます!」
C:「いいえ。お金が返ってこなければ貴方には課税しません!私はあなたの味方です。信じてください。これを機にBとの縁を断ち切って自分の人生を取り戻してください!」

税法的には調査官Cが言っていることはもう無茶苦茶です。
少なくとも所得税法上はCが言っているようなことにできる規定はありません。
国は法律にしたがって粛々と課税すべき(合法性の原則)であり、法定外の事情によって課税する・しないの裁量の余地はありません。
BがCに言っていることの方がむしろ正論です。
もちろんCもそんなことは承知のうえで「うそ」をいってます。
すべてはAを助けるための方便だったのです。

「人助け」か「税法の遵守」か

ところが、税務署内にもいろいろ大人の事情があり、Cらから報告を受けていた税務署長はAに対して更正処分をしました。
結果的にBにもCにも騙されたAさんは深く傷つき、国に対しては不服申立、Bに対しては1億円を返すよう不当利得返還請求をします。
Bに対する訴訟は継続中ですが、たとえAさんが勝訴しても資力のないBからの返済の見込みはありません。

国(国税不服審判所)に対する審査請求書(不服申立書)の中でAさんは次のように主張します。
「お金が戻らなければ課税処分をしないという税務調査官の言うことを信じて事実関係を正直に話したのに、国は課税処分をしました。私をだまして聞き出した事実に基づく処分は違法かつ無効です。」

Aさんは「信義則」という言葉を用いていませんが、おそらくこう言いたかったのではないかと思うのです。
「税法の規定をまともにCが解釈すれば、Aに所得税の納税義務があることはわかっていたはず。」
「Cは国税調査官として、『信義則』に従い所得税法の規定を正しく解釈・適用すべき職務を負っていたにもかかわらず、職務に背いて独自の解釈に基づく説明をAにして、課税要件認定に必要な事実を供述させた。」
「仮にCが所得税法の規定を正しく解釈していたとすれば、その解釈に反する説明は虚偽説明である。」
「法解釈の誤り、虚偽説明のいずれにしても、CのAに対する行為は国税調査官に与えられた質問検査権を逸脱するものであり、重大な法令違反がある。」
「重大な違法行為に基づく課税処分は取り消すまでもなく無効である。」
「さらに、『課税しません』というCの前言に反してなされた課税処分は『禁反言』に抵触する。」

実際の事件では国税不服審判所は「Cがそんなことを言ったという記録がない」という理由で違法事実はなかったということにして、Aさんの請求をあっさり棄却しています。
「記録」がないから「事実」なしという強引な結論もあって、なんとも後味が悪い裁決です。

「信義則」「禁反言」とは

民法1条2項は「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」と規定します。
「信義誠実の原則」とよばれる民法の一般規定で、これを短く「信義則」と呼んだりします。

一般規定とは、法律を適用して問題を解決する際の心構えのようなものです。
簡単にいうと、常識的な感覚をもって法律を解釈し適用すべきであり、条文の形式的な文言にこだわって人の上げ足をとるようなことや、条文の趣旨に背くような解釈をして、人を困らせてはいけないという訓示的な規定です。
「信義則」のように法典に明文の規定として立法されているものに限らず、自分の言葉を信じて行動した他人を裏切るような前言撤回を許さない「禁反言(きんはんげん)」のよう道徳観も含まれます。
こうした一般規定は訴訟においても裁判官も規範として尊重するものですから、侮ってはいけません。

税の世界でも「一般規定」は通用するか?

信義則・禁反言のような一般規定が民事法(民法・商法・会社法などの実体法+民事訴訟法)の世界で通用されるは誰もが認めるところですが、公法(憲法・行政法・租税法+行政事件訴訟法)の世界でも本当に通用するのかについては議論があるところです。
個人(私人)間のルールである民事法と個人と国・地方公共団(公権力)の間のルールである公法とでは世界が異なるから、民事法の一般規定がそのまま公法には及ばないという見解がある一方で、公法も私法と統一的な理解をすべきだという意見があります。

いずれにせよ、民事法でも「最後の手段」として主張されることが多く、そう簡単に裁判所が認めない信義則を公法の世界で認めさせるには余計に高いハードルをクリアする必要がありそうです。

したがって、公法に属する租税法(所得税法、法人税法、相続税法、地方税法などの税に関する法律の総称)においても、税法の解釈・適用にあたってどこまで一般規定が通用するかわかりません。

判例によると…

Aさんの事件とは事案が異なりますが、税務署長による「既成事実の撤回」が一般規定に反するとして最高裁まで争われた事件があります。
本件は、「青色申告」の承認を受けずに長年「青色申告」をしていた個人事業者が、後になって税務署長から「白色申告」として更正処分を受けたことを不服として争った事件です。
税務署は最初に「青色申告」が提出された後も、原告(個人事業者)が「青色」の承認を受けているかどうかを確認せずに、毎年確定申告時期に「青色申告書」の用紙を原告に郵送していました。
そんな税務署があとから「白色」だと気が付いてからした更正処分は「信義則」に反すると原告は主張しました。
裁判所は「税務署長による申告書の受領及び申告税額の収納は、当該申告書の申告内容を是認することを何ら意味するものではない…。また、納税者が青色申告書により納税申告したからといって、これをもって青色申告の承認申請をしたものと解しうるものではない。」そして「翌年分以降青色申告の用紙を当該納税者(原告)に送付したとしても、それをもって当該納税者が税務署長により青色申告書の提出を承認されたものと受け取りうべきものでないことも明らかである。」として、原告の請求そのものを棄却しています。

そのうえで、裁判所は「特別の事情」がある場合には、租税法においても信義則の法理もしくは禁反言の原則の適用が「ありうる」と判示しています(最高裁判所昭和62年10月30日第三小法廷判決)。

ここでいう「特別の事情」とは:
①税務官庁(税務署・国税局など)が納税者に対し信頼の対象となる公的見解を表示したことにより(公的見解の表示)、
②納税者がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したところ(表示に対する信頼)、
③のちに上記の表示に反する課税処分が行われ、そのために納税者が経済的不利益を受けることになり(表示に反する処分)、
④納税者が税務官庁の上記表示を信頼してその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がない(納税者に帰責事由がないこと)
の四つの要件にあてはまる事情です。

昭和62年判決の事件では、そもそも①がないから、一般規定を発動してまで救済すべき「特別の事情」がないということで棄却判決になっています。

信じる者は救われる?

Aさんの事件が課税処分取消訴訟になっているかは不明です。
そうなったとして、考えられるシナリオは以下のようになりますが、みなさんはどれが一番妥当と考えますか?
ア: 裁判所が国税不服審判所の採決と同様に「記録」がないからそのような「事実」(公的見解の表示)はなかったと結論付ける。
イ: 調査官Cの「うそ」は認めるがそれはC個人の見解の表示であって「公的見解の表示」にはあたらないとする。
ウ: Cの「うそ」は「公的見解」にあたるが、それを信じて行動したAさんは浅はかだった(納税者に帰責事由あり)と認定する。
エ: Cの「うそ」は「公的見解」にあたる。課税処分は明らかに「公的見解の表示」に反する。しかし、Cの「うそ」を信じたAは浅はかだったと認定する。
オ: Cの「うそ」は「公的見解」にあたる。課税処分は明らかに「公的見解の表示」に反する。AがCの「うそ」を信じて行動したは無理もない(納税者に帰責事由なし)と認定する。

私は先の①から④の要件の有無を判断する際に考慮すべき要素がもう一つあると思うのです。
それは社会一般の標準的な大人がCの説明を聞いてどう思うかという点です。
税金の問題を争う訴訟では「公平な課税の実現」という言葉がよく使われます。
それは、社会一般の常識を無視した特定人に対する課税処分は許されないし、もっぱら特定人の事情を斟酌して課税処分を取り消すことは許されないという二重の意味で税務官庁と裁判所の両方を拘束する言葉です。
AさんはBのマインドコントロール下にあって、社会一般の標準的な大人として判断能力を失っていたといえるかもしれません。
しかし、なにをもって「標準的な大人」と考えるべきかその基準ははっきりしません。
人はそれぞれ異なる事情を抱えて生きています。
Aさんとは理由は異なっても、資力を失って納税できない人はたくさんいます(Bですらそうかもしれません)。
まともな大人でも他人の言うことを信じやすい「お人よし」は大勢います。
そんな人の税金を片っ端から免除・猶予していたら、真面目に申告・納税している一般国民の心が折れてしまいます。

そこまで考えるとますます答えを出しにくくなりますね。
私は国税不服審判所の判断は乱暴だと思うのですが、実際に事件を担当した審判官もいろいろ悩んだ末の「結論ありき」がみえみえの棄却裁決を出さざるを得なかったのではないかと想像しています。
おそらく調査官Cもその上司も最初はAさんを助けたい一心で、署長を説得できると思って、超法規措置を模索していたのではないでしょうか。
しかし、冷静になってみると「合法性の原則」や「公平な課税の実現」という壁を越えられないと悟り、やはり悩んだことでしょう。
大きな組織にいると個人として矜持を貫き通すのは大変なことです。
その後、Aさんと調査官Cがどうなったのかも気になります。

***

ちなみに、アイキャッチ画像の鳥は「鷽(ウソ)」といいます。
「うそっ」て感じですよね。ほんとです。
学名はPyrrhula pyrrhula。ズズメ目アトリ科ウソ属です。

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